今回は『ハウスメーカーの設計士の見分け方~5段階のレベルの違いを解説~』というテーマでお話をしていきます。
私の記事を読んでいる人や、日々家づくりの情報収集でSNSを活用している人からすると、誰が自分の担当者になるのか、それでできる家のクオリティが大きく変わってくるというのは既にご存知だと思います。
ただ中には「そんなの初耳。」という人もいるかもしれないので、簡単にイメージしやすいようにお伝えすると、例えばニンジン、じゃがいも、玉ねぎ、これらの食材で料理をしてくださいと言われたら、皆さんはどんな料理を作ろうと思いますか?
おそらくカレーをイメージされた方が大半だと思うのですが、肉じゃがも作れます。あとはポトフも作れます。
ですので、使う食材が同じでもどう調理するのか、それによってでき上がってくるものが大きく異なるわけです。
注文住宅もこれと全く同じで、結局のところ誰が自分の担当者になるのかで、でき上がってくる家のクオリティが大きく異なってくるのです。
実際に私が作ったメグリエというサービスを使って、これから家づくりをされる皆様にぴったりなハウスメーカーを紹介するのと同時に、家のクオリティを上げるためのサポートも行っています。
具体的には、ハウスメーカー各社が遅れているとされている建物の断熱性能や気密性能を強化するためのアドバイスや、実際に建物の着工が始まったら私自らが工事現場に出向いて、気密性能がきちんと確保されているかどうかのチェックを行ったり、また、建物のデザインをより高めるために、現場の営業マンや設計士の方と連携して、普段そのハウスメーカーではできないようなデザインの建物をお客さんに提案したりしています。
とにかく注文住宅は誰が自分の担当になるのか、これででき上がるものが大きく変わってくるわけです。
私は今まで全国で1,000棟以上の家づくりに携わってきた経験から、設計士のレベル感は5段階に分けられるということにここ最近気がつきました。
今回は、独断と偏見になりますが、それを皆さんに共有していきます。
これから家づくりを始める方は「自分はどのレベルの設計士と家づくりをしていきたいのか」を考えながら読んでいただければと思いますし、今現在建物の打ち合わせ中の方は、自分たちの担当の設計士のレベル感がどこに該当するのか、そのような目線で読んでいただくとおもしろいのではないかと思います。
ただし念のためにお伝えしておきますが、大前提として、今からお伝えするレベルが高ければ高いほどいいというわけでもありません。
大切なのは、自分たちと設計士の方向性が合致するかどうかという話なので、その点を念頭に置いた上で、この記事を最後まで読んでいただければと思います。
ハウスメーカー設計士第1形態:量産型インスタントデザイン
まず、設計士第1形態が「量産型インスタントデザイン」です。
この設計士第1形態は、街中の建売で見るようなよくある間取りを提案してくる設計士のことを言っています。
そして、このレベルの設計士は、お客さんに言われたことをそのまま積み上げて間取りをつくろうとするため、ヒアリングが単調になるという特徴があります。
ですので例えば、お客さん側が「LDKは20畳欲しい。」「回遊動線にしてほしい。」「主寝室は8畳、子ども部屋は6畳欲しい。」と言ってきたら、それをそのまま鵜呑みにし、何の疑いもなく言われたことをただただ組み合わせていくイメージです。
そのためそういう設計士は、まるでパズルのように組み合わせて間取りをつくり、提案を行うといった感じになります。
また、細かく設計図を書くということもしない傾向にあるため、どうしても大味な雰囲気の室内にしかなりません。
具体的には、建物のクオリティを上げるために必要な展開図や断面図はほぼ書きません。
建築において、展開図と断面図はその建物がどんなクオリティになるのか、その運命を決めると言っても過言ではないのですが、残念ながら書かないというか、それを書けるだけの技術がないのです。
そのため、賃貸や建売のような、どうしても大味な内装デザインになってしまうのです。
なぜ展開図や断面図を書かなければ賃貸や建売のような大味な内装デザインになるのかというと、それはそもそもの前提として、ハウスメーカーのつくる家というのは、生産性に重きを置いた工業化住宅だからです。
これがどういうことかというと、ハウスメーカーという業態は、戦後家がない時代に同じ質の家を大量生産し、多くの方の住居を確保することを目的としてできた業態なのです。
ですので、ハウスメーカーのつくる家というのは、基本的に生産性に重きを置いた家であり、それゆえに普通につくると賃貸や建売のような、どうしても生産性に重きを置いた大味な雰囲気の室内になってしまいます。
工業化住宅特有のデザインから脱却し、SNS映えするような、建築家がつくるようなデザイン性の高い住宅をつくるためには、展開図や断面図を書いて細かく設計しなければいけません。
ただ、それをやり始めると非常に手間と時間がかかるので、ハウスメーカー本来の目的である住宅の大量生産から逸脱してしまうことになるのです。
ですので、展開図や断面図を書いて細かく設計するということをしないのです。
ハウスメーカーでの家づくりという枠にとらわれていると、設計士のレベルも向上せず、どうしてもありきたりな間取り提案しかできなくなります。
ただし、そこまで家に対してこだわりがなく、無難な間取りでいいと思っている人からすれば、第1形態の設計士が担当でも十分に満足できます。
結局のところ冒頭でもお伝えしたように、自分たちの求めるレベルにマッチしているかどうかが大切なのです。
ただそうはいっても「注文住宅なんだから人と違った家にしたい。」「SNS映えするようなおしゃれな家づくりをしたい。」と思う人からすると、第1形態の設計士が担当ですとかなり物足りなく感じるはずです。
もし皆さんの担当の設計士がヒアリングが単調で自分の言った要望をそのまま積み上げて間取りをつくろうとする場合、その設計士は設計士第1形態である可能性が非常に高いです。
ハウスメーカー設計士第2形態「小技踏襲型デザイン」
続いて設計士第2形態が「小技踏襲型デザイン」です。
この段階の設計士は、インターネットにアップされているデザインがよくなる小技を要所要所で取り入れて間取り提案を行う設計士です。
例えば、
- 巾木をなくす
- ハイドアを採用する
- 余計な扉はつけない
- 間接照明を採用する
- 壁紙は一色に統一する
- レンジフードを隠す
- 床材は1種類に統一する
といった感じです。
これらは真似すれば確かにおしゃれになりますし、真似しようと思えば誰でも真似できるものなのです。
これらの工夫をすることで、なぜおしゃれに見えるのか、その本質の部分を答えられるかどうかが重要です。
なぜなら、本質の部分を答えられないということは、回答を丸暗記してテストに望んでいるという感覚にかなり近いからです。
学生の時のテストでは、丸暗記でなんとかなるものもあったかもしれませんが、理屈や本質が理解できていないと応用が効かず、全然点数が取れないという経験を皆さんも一度はしたことがあるのではないでしょうか。
要はそれと同じです。
各論の部分だけをいくら模倣したところで、ネット上で見かけるそれっぽいものができ上がるだけで、本当におしゃれなものはできないのです。
ですので、もし仮に皆さんの担当の設計士がおしゃれな家づくりの本質の部分を答えられなかった場合、その設計士は第2形態の「小技踏襲型デザイン」を提案してくる設計士ということになります。
「ネットでよく見るおしゃれな要素が含まれているけれどなんかしっくりこない。」「どこかネットで見たことのあるようなデザインだな。」と違和感を感じるのであれば、次にお伝えする第3形態の設計士を探した方がいいです。
ハウスメーカー設計士第3形態:文化踏襲型デザイン
第2形態である小技踏襲型デザインを提案してくる設計士が、さらにグレードアップした段階がこちらになります。
この段階の設計士は、住宅だけではなく建築そのものの歴史的背景を知っているため、文化を踏襲したデザインの建物を提案する傾向にあります。
ですので、先ほど紹介した建物をおしゃれに見せるための小技である
- 巾木をなくす
- ハイドアを採用する
- 余計な扉はつけない
- 間接照明を採用する
- 壁紙は一色に統一する
- レンジフードを隠す
- 床材は1種類に統一する
これらを取り入れることでなぜおしゃれに見えるのか、どういう経緯でこれらの手段が誕生したのか、その本質の部分を理解しているので、きちんと説明できるわけです。
余談:建築の歴史
建築そのものの歴史的背景とはなんなのか、文化を踏襲したデザインの建物とは一体どういうことなのかという話だと思います。
ですので一旦話は逸れるのですが、主要な部分のみ究極に圧縮して建築のデザインの歴史についてお話をしていきます。
ペリー来航までの建築
まずは、ペリー来航までの建築についてです。
ここでは1853年のペリー来航以前、つまりは明治以前の日本の建物についての話となります。
そもそも日本という国は、世界的に見ても独特な文化をしています。
なぜなら、人類の歴史はヨーロッパを中心に発展しましたが、日本はそこから一番離れた場所にあるからです。
具体的には、日本からヨーロッパまではだいたい10,000km前後の距離が離れているので、日本からヨーロッパに行くには飛行機でだいたい14時間くらいかかるイメージです。
14時間と聞くとすごく時間がかかるように感じますが、当時は当然のことながら飛行機なんてものはなかったわけです。
そのため船を使う必要があったのですが、日本からヨーロッパに行くには40日〜50日かかったとされています。
すごいですよね。
そのような状況だったこともあって、ヨーロッパではあまり日本の存在が知られておらず、交流も少なかったのです。
こうした理由から、日本はヨーロッパの影響をあまり受けず独自の文化が育ちました。
これは建築も同様で、昔のヨーロッパでは石材を中心に建築がつくられていました。
そのため、例えば
- 柱が太い
- 柱が太く目立つので装飾が施されている
- 石材を積み重ねてつくるので開口部が少なく壁が多い
といった特徴があります。
一方で、日本では気候や環境の違いから木材を中心に建築がつくられていました。
そのため日本建築は
- 柱が細い
- 柱が細く目立たないので装飾がされにくい
- 細い木材を組み合わせてつくるので、開口部が広く、壁が少ない
といった特徴があったわけです。
両者を比べてみると、だいぶ違うことがわかるかと思います。
そのようなわけで、古くから日本では木造建築が多く建てられることになって、ヨーロッパと比較をすると特殊な建物が建築されていくことになるわけです。
ただし木造で建築すれば日本建築とよべるのかと言われればそうではなく、実は屋根に「唐破風」とよばれるものがついているのを日本の建物、日本建築とよびます。
というのも、屋根には破風とよばれる部分があります。
その中でもうねるように湾曲したものを唐破風とよびます。
実はこれは日本にしかない形で、平安頃にできたとされています。
しかし、お寺のような建物は東南アジアにけっこうあります。
例えば中国にある太和殿などです。
皆さんも一度はテレビなどで見かけたことはあるのではないかなと思います。
これは寺らしい形をしているものの、先ほど説明した唐破風はありません。
ですので唐破風は日本独自のものであり、これがついているものを日本建築とよぶのです。
有名なところでいうと、池田家江戸神屋敷正門(通称:黒門)という古い武家屋敷の門や、東大寺でもこの唐破風が使われています。
唐破風からは武士の威厳を感じ取れるような装飾性の高さを感じられるため、社寺や城郭、武家屋敷なんかに好んで使われていたわけです。
そんな独自の文化が育った木造大国日本は、1641年当時の征夷大将軍徳川家光が制定した鎖国によって海外からの影響を受けずにいました。
西洋化する日本建築
1853年、ついに時代が動きます。
西洋化する日本建築についての話です。
1853年、鎖国体制を続けていた日本にアメリカ海軍軍人ペリーという人がやってきます。
そして開国をするように迫ってきたわけです。
その後、ペリー来航をきっかけに日本国内では外国を撃退し排除しようとする攘夷派と開国推進派とで対立、そこから紆余曲折あり1867年に大政奉還を行い、260年以上続いた江戸幕府が終わりを迎えます。
そして日本は開国をきっかけに、徳川家ではなく、日本政府が国を治めることになったわけです。
しかし当時の日本政府はアメリカなどの諸外国を見て、日本の政治や文化、科学技術など何もかも他国に遅れを取っていたことに危機感を覚えました。
そのため、西洋に追いつくために西洋文化を日本に取り入れ始めるわけです。
その1つに建築がありました。
日本は海外から建築家を招き、西洋建築を広めてもらうことにしたのです。
こうして日本にやってきたのが、ジョサイア・コンドルという人です。
彼は日本政府から建物の設計に加え、日本人への建築教育の依頼も受けており、現在の東京大学にいて教鞭を取っていた人になります。
彼が設計した有名な建物でいうと、鹿鳴館や東京国立博物館旧本館で、当時最先端の西洋建築を日本で建てたわけです。
見てみるとわかりますが、先ほどまでの日本の木造建築とは異なり、特徴的な装飾が施されていたり、柱やレンガを積み重ねていたり、壁面はまさに西洋風の建築という感じです。
そしてそんな彼の教えによって、日本で初めて大工ではなく建築家とよばれる人たちが誕生します。
コンドル先生の教育を受けた生徒たちを建築家第1世代とよんだりするのですが、特に有名な方を紹介すると、日銀本店や東京駅の設計をした辰野金吾、横浜赤レンガ倉庫や日本橋を設計した妻木頼黄、赤坂迎賓館や東京国立博物館表慶館の設計をした片山東熊です。
どの建物も建築に興味のない方でも一度は目にしたことがある建物だと思います。
これらの建物は建築家第1世代とよばれる方たちが建てた建物で、その先生にジョサイア・コンドルという人がいたわけです。
特に片山東熊が建てた表慶館は、当時の皇太子後の大正天皇のご成婚を祝し、1908年に建てられた日本で初めての美術館です。
まさに西洋建築という感じです。
ただこの建物は、装飾された太い柱、積み上げられたブロック、開口の少ない壁面という伝統的な西洋建築の特徴を多く含んではいますが、よく見ると所々に和の様子が散りばめられているのです。
入り口の魔除けのライオン像は仁王像と同じように阿吽の口をしていますし、壁面につけられた装飾にも般若のような日本を表現している装飾が見受けられます。
西洋建築をただただ模倣するのではなく、日本なりのアレンジをしているこのディテールからは、西洋に追いつけの精神で西洋文化を取り入れた日本が1894年日清戦争、1904年の日露戦争での勝利を経て、西洋以上の力を手に入れたという威厳や権威性を装飾で表しているわけです。
しかし1923年に関東大震災が起こります。
明治以降最大の被害となったこの地震によって、ジョサイア・コンドル先生が建築した東京国立博物館旧本館は崩落してしまいました。
こうして1937年に建て直されたのが東京国立博物館本館です。
たくさん並んだ太い柱や積み上げられたブロック、開口の少ない壁面など、表慶館旧本館と似たような見た目をしていますが、西洋建築というよりは、屋根や正面入口にあしらわれた破風など、日本建築に近い印象を受けます。
下は洋風なのに屋根は和風という、和と洋を混ぜ合わせた形をしています。
こういった建物を帝冠様式とよびます。
帝冠様式の建物は、愛知県庁舎や京都市美術館など、各地の公立施設として多く建てられました。
これらの建物はほとんどが1930年代に建てられたのですが、この時代といえば日本が国際連盟から脱退し、さらには軍国主義へと舵を切った時代です。
そのため当時の建物からも、日本は西洋に追いつけではなく、西洋を追い抜けという強気な姿勢だったことが伺えます。
モダニズムの流行
日本は敗戦を経て大きく変化します。
憲法は作り直され、天皇は元首から象徴に、武力の行使は永久に放棄されました。
これに合わせて、帝冠様式のような権威的な建築をつくるのはやめようという雰囲気になります。
しかし装飾というのは、いつの時代、どこの世界でも少なからず権威や威厳を表すためのものでした。
それにも関わらず急に装飾をなくすと言ってもどうすればいいんだという感じの中で、当時遠くヨーロッパでは、権威や威厳性を表す装飾を建築に使うのはやめようと言っている人がいました。
それがル・コルビュジエです。
ル・コルビュジエは世界で最も有名な建築家の1人で、1930年頃にはこういった飾り付けのない超シンプルな建物をつくっていました。
そして、この装飾を徹底的に排除し、建物をシンプルにするというのをモダニズムとよびます。
このモダニズムという考え方は、今現在も使われている建物のデザインのベースとなる考え方になります。
ここからは、1930年前後〜1955年くらいまでの建築で、装飾を一切排除したモダニズムに焦点を当てた話となります。
ここからがかなり重要になってきます。
コルビュジエによって、ヨーロッパでは権威や威厳性を示す装飾を建築に使うのはやめようとなっている中、モダニズムの理念に共感し、これを日本に持ち帰ろうとする人物が現れます。
それが前川國男です。
前川國男は1928年にコルビュジエのもとを訪れ、約3年そこで働きながら建築を学びます。
その後帰国し、すぐに東京国立博物館本館の設計公募に応募します。
これがこちらなのですが、全然日本らしくありません。
真四角な感じで、とてつもなくシンプルです。
コルビュジエの影響を強く受けているのがわかるかと思います。
残念ながらこの案は実現しませんでしたが、前川はこの装飾をしないという理念を曲げずに、その後も活動を続けます。
そして1945年、敗戦をした日本では、権威的な建築をつくるのはやめようという雰囲気になったことや、焼け野原になった日本を早く復興させようという建築需要が大幅に伸びたという社会的背景もあって、モダニズムは急激に全国に広まり始めます。
そんな日本にモダニズムが浸透しつつあった1955年、日本から美術館の設計依頼を受けたル・コルビュジエが来日します。
こうして誕生したのが東京の上野公園内にある国立西洋美術館です。
先ほど紹介した前川國男の図面の建物によく似た外観で超シンプルです。
装飾が全くされていないにも関わらず、なぜだか美しさを感じることのできる、そんな建物になっているかと思います。
国立西洋美術館は、装飾を排除しシンプルにすることで、ル・コルビュジエの思想を具体化した建物になっているのです。
しかし一方で、ル・コルビュジエは、日本で国立西洋美術館を設計するのと同時に、フランスではロンシャン礼拝堂、さらに同時期にはインドのチャンディガール議事堂の設計も行っていたのです。
見ていただければわかりますが、真四角ではありません。
実は、ル・コルビュジエはこの時すでに、シンプルで真四角なモダニズム建築の限界に気がついていたのです。
ただシンプルな建築をつくるのではなく、その土地ごとに適した建築の形があるのではないか、その方がより建築の良さが出るのではないかと考えていたのです。
実際、国立西洋美術館もパッと見るとモダニズムな感じがするのですが、よく見ると壁面に緑の玉石が埋められていたり、建築時につく木目をあえて柱に残していたり、日本らしさを表現しようとした形跡が見て取れるのです。
当然、前川國男もル・コルビュジエの考え方の変化に衝撃を受けつつも、自分の建築にも新しいモダニズムの形を取り入れ始めます。
それが西洋美術館の目の前にある東京文化会館です。
見るからに、ル・コルビュジエが設計したチャンディガールの影響を受けています。
しかし建物の裏側に回ってみると、ホールの外壁は西洋美術館同様に石が埋め込まれたタイルが使われています。
また、お城の石垣を模したカーブをあしらっており、この建物にも日本らしさを表現しようとした形跡が見て取れるのです。
このように、前川國男は新しいモダニズムの形を模索し始めるわけです。
モダニズムの進化
ここからは主に1955年以降の建築の話になります。
先ほどお話したとおり、単にシンプルな建築をつくるのではなく、その土地にあった形の方がいいのではないかという流れになってきたため、建築家たちもモダニズムに日本の文化を取り入れた新しい形を模索し始めることになります。
ただ実は日本では、1930年代という早い段階で、すでに日本独自の形を模索し始めていた建築家たちがいたのです。
例えば、古来より日本にある数寄屋建築をベースとした数寄屋モダンの吉田五十八、
縄文文化に日本を見出した白井晟一、
柱と梁に可能性を見出した丹下健三などです。
こういった建築家たちによって、早い段階でモダニズムのその先にある新しい建物の形がなんとなく見えつつあったのです。
そんな中、後にホテルオークラのメインロビーや赤坂迎賓館和風別館という国家的重要施設を任されるほどの建築家が現れます。
それが谷口吉郎です。
彼は前川國男の東大の同期であり、初期にはやはりモダニズムに傾倒した建物をつくっていました。
例えば、東京工業大学の水力実験室などです。
しかし、1938年1年間のベルリン出張を機に、日本ならではの形を現代に継承していくことに情熱を注ぐようになります。
こうして装飾を排除したモダニズムと伝統的な日本建築を調和させ完成させた建物が、1968年に完成した東京国立博物館東洋館です。
和風を全面に押し出しているわけではありませんが、なぜか日本らしさを感じます。
これは装飾されていない細い柱や、大きく飛び出た軒、これら古来からある日本建築の形状を取り入れているためです。
実は軒というのは、雨が多く夏の日差しが強い東アジアならではの工夫だったりします。
有名なところでいうと、沖縄にある雨端とよばれる軒下空間がありますが、東京国立博物館東洋館の屋根の形状と比較するとかなり似ています。
こうした装飾ではなくその土地ならではの工夫された形状を取り入れることで、モダニズムと日本の調和を実現したわけです。
個人的にはこの建物が時代の転換期を表している気がしていて、かなり好きな建築です。
それもあって、実は私の自宅は東京国立博物館東洋館に非常によく似た外観をしています。
実は東京国立博物館東洋館はよく見ると、屋根、柱、2階にあるテラス、これらのどれもが太いのです。
言われないと気がつかない部分だと思いますし、設計自体も工夫がされているので、全然気にならないという人もいるかとは思いますが、実は当時はまだまだ技術が未熟でした。
しかし、時代が進むにつれて科学技術が進歩し、モダニズムと日本の調和という思想は次世代の建築家たちによって、より洗練されたものになっていきます。
その代表的な建築が、谷口吉郎の息子である谷口吉生が設計した東京国立博物館法隆寺宝物館です。
見ていただければわかりますが、柱は細いですし、屋根もとても薄いです。
装飾がされていない細い柱や、大きく飛び出た軒と大きな開口部、これらの特徴はまさに日本建築そのものであり、装飾を全くせずシンプルな見た目というコルビュジエが目指したモダニズムの要素もうまく取り入れています。
まさにモダニズムと日本の調和の完成形と言っても過言ではない建物になっているのです。
ちなみにこれ以降の日本建築もモダニズムと日本の調和という軸からは大きく逸れず、より細く軽くを洗練させていくSANAAや、
日本独自の素材や工法に着目した隈研吾など、
現代の建築家に続いていくことになります。
一応ここまで私がお話したことは、世界的な流れから日本に徐々にフォーカスをしていった話になります。
ただ当然日本だけではなく、世界中の人たちもモダニズムの次のデザインの形を模索していたわけなのですが、その時に出てきたのがヴァナキュラー建築というものになります。
念のため超ざっくり触れておくと、ヴァナキュラー建築という言葉の元を作った人物はアメリカの建築家バーナード・ルドフスキーという人です。
彼は1964年、ニューヨーク近代美術館にて、後に議論を巻き起こす展示会を行います。
それが「建築家なしの建築(Architecture without Architects)」です。
この展示はルドフスキーが長年調査をした世界中の建築を紹介したもので、それまで西洋では知られていなかったその地域ならではの個性的な建築に光を当てたものなのです。
ここでは日本の民家も紹介されていたのですが、長い年月をかけてその土地に暮らす人々が工夫に工夫を重ねた、その土地ならではの建築、つまりは昔からその土地にあった建物で1人の人間が設計をしていない、そんな建物を紹介していたのです。
ですので「建築家なしの建築」なのです。
こういった建物を「土地に根付いた」または「その土地ならでは」という意味で、ヴァナキュラー建築とよぶようになって、それを見た建築家たちは、その地域にあった個性的なものをつくることによって、画一的で退屈なモダニズムから脱却しようとしたわけです。
このような流れも世界では起きていたのです。
モダニズムやヴァナキュラー建築、ヘーベルハウスなど、いろいろな設計士がデザインを踏襲しているので、ぜひ覚えておいてください。
ということで、歴史を遡って建築のデザインがなんたるかを見てきました。
話が非常に脱線したので「なんの話?」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、これまでの話を簡単にまとめると、今現在の建物のデザインは装飾を一切必要としないモダニズム、これがベースにあるということです。
そしてそのモダニズムにプラスして、日本らしさを取り入れたデザインが今現在の日本の建物のデザインですというお話でした。
ここまでの建築の歴史を理解した人からすると、
- 巾木をなくす
- ハイドアを採用する
- 余計な扉はつけない
- 間接照明を採用する
- 壁紙は一色に統一する
- レンジフードを隠す
- 床材は1種類に統一する
これらSNSで拡散されている家をおしゃれにするための手段は、モダニズムの延長から来ているものだということがわかったかと思います。
そして裏を返せば、装飾性をいかに排除するか、これを考え突き詰めることで応用が効いて、おしゃれさを醸し出せるということもわかったのではないかなと思います。
こういう歴史的な話ができるかどうかで、第3形態の設計士かどうかがわかるのです。
ハウスメーカー設計士第4形態:住みこなす系デザイン
この第4形態の設計士は、第2形態、第3形態の概念に加えて、さらにその設計士オリジナルの癖の入ったちょっと特殊な間取りを提案してくる設計士です。
別名「強制ミニマリスト形態」なんて私はよんでいたりもするのですが、誤解を恐れずにもう少し具体的に説明をすると、第4形態の設計士は、非常に奇抜で、住む人のことを考えていないのではないかというデザインの家を提案してくる傾向が強いです。
ただ、他人とは被らない物珍しさと、細かい部分で感じる建築の文化を踏襲したデザインによって、魅力的だと思える提案になっているのです。
ただし、設計士の癖が全面に出たデザインになっているため、住み続ければ住み続けるほど不便さを感じやすいですし、満足度も徐々に下がる傾向にあるのです。
これが第4形態の設計士の特徴です。
ですので例えば、第4形態の設計士が間取り提案を行うと、こんな家に住みたい、人とは違ってすごくおしゃれ、少しぐらい不便でも我慢してこの家に住もう、そう思える反面、一旦冷静に俯瞰して考えてみると、使い勝手が悪そう、この家に住むイメージが全然湧かない、収納量が少ないなど、そのようなことを感じる間取り提案になっていたりするのです。
そしてこの第4形態の設計士は、自分の色が全面に出た提案を受け入れてもらうことにプライドを持っている傾向にあるため、お客様ファーストというよりかは、いかにして自分の提案を受け入れてもらえるかどうかに全振りしているようなイメージです。
感覚的には、自分の感性と合わないお客さんは自分の客じゃないくらいの勢いで切り捨てていく感じです。
そのため例えばですが、先ほどもお伝えした使い勝手が悪そう、この家に住むイメージが全然湧かない、収納量が少ないなど、そう思うような間取りになっていても「住みこなしてください。」という究極のパワーワードを使って上からねじ伏せてくることが多いのです。
ただこの話を聞くと「いやいや、いくらデザイン性がいいからといって、住みこなしてくださいなんて言葉でねじ伏せられるわけないでしょ。」と思われる方もいるかもしれませんが、確かにこの家に住むのであれば、多少の我慢は仕方ないかと思えるくらい、第4形態の設計士が提案してくる間取りは魅力的であったりもするのです。
ただ、ダイエットを頑張ろうと思って最初は頑張るけれども長続きしない、資格の勉強をしようと思って最初は頑張るけれど長続きしないのと同じように、最初はかっこよくておしゃれな家に住みたいから住みこなそうと思っても、それは最初だけで、徐々に住みにくさを感じて満足度が下がっていきます。
第4形態の「住みこなす系デザイン」を提案してくる設計士が自分の担当になった場合は、この点はぜひともご注意いただければと思います。フォームの終わり
ハウスメーカー設計士第5形態:必要なもの積み上げ型デザイン
この設計士第5形態は、第4形態の住みこなす系デザインを提案してくる設計士の中でも、一部の設計士だけが到達する設計士の最終到達系になります。
というのも、第1、第2、第3、第4形態を経たことで、いかに設計士としての色を出さず、お客さんに寄り添った提案ができるか、それこそが持続的に向上する満足度につながるということに悟りを開いた設計士のみが、この第5形態に到達できるからです。
ですので、第5形態の設計士が提案する間取りは、特に奇抜さもなければ、一見すると普通のような感じになっているのですが、実際にでき上がってみると、その地域の特性を理解した建物の外観、外溝提案、造作家具提案になっていたり、既存の家具と空間がマッチするような提案になっていたりと、非常に高度で緻密な設計提案内容になっているのです。
ただ、この説明だけですといまいち伝わらないと思うので、地域の特性を理解した建物の外観、外溝提案、造作家具提案とはどういうことなのか、既存の家具と空間がマッチするような提案とはなんなのか、それぞれ簡単に説明をしていこうと思います。
地域の特性を理解した建物の外観、外溝提案、造作家具提案
まず、地域の特性を理解した建物の外観、外溝提案、造作家具提案とはどういうことなのかというと、例えば皆さんも地元愛のようなものはありますよね。
自分が育った地域、つまりは地元に愛着が湧いてなかなか地元から離れられなかったり、あとはふとしたタイミングで地元に帰省した時に「やっぱり地元って落ち着くな。」と思ってみたり、そのような感覚は多くの人が持っていると思います。
こういった感覚は廃れるものではなくて、歳を重ねれば重ねるほど愛着が湧いてくると思いますが、要はそういった感覚を建築にも転用しようということで、
- その地域の特性や歴史から紐解いた建物の形状
- 近くの山で取れた樹木の採用
- 兵庫県の御影石、栃木県の大谷石などの特産の石を採用
こういった工夫を家に取り入れることで、長い目で見た時に愛着を感じられる住まいをつくり上げようとしているのです。
実際に私が見てきた第5形態の設計士は、その地域が暑いことで有名な地域だったため、日射遮蔽や日射取得に配慮した外観の建物をコンセプトに設計していたり、降水量の多い地域に建てることから雨の日でも楽しめるをコンセプトに設計していたりしました。
また、ご存知ない方も多いと思いますが、実は日本は素材の産地とよばれていたりもするのです。
具体的には、愛知県であれば尾州ウールというウールが有名ですし、福井、石川、富山はポリエステルが有名で、滋賀県は麻の織物が有名です。
こういう素材は、洋服の海外メゾンブランドが使うくらい品質がいいので、日本が世界に誇るべきものなのです。
ですので、そういう素材を椅子やソファの座面に使ったり、あとは絨毯などに使ったりすることで、地域性を反映させた愛着のある住まいをつくり上げることができるわけです。
特にヴィンテージとよばれる家具は、基本的に座面を張り替える前提で購入するのですが、座面の素材に関しては何を選んでもいいのです。
例えば私の持っているフィンユールのNV45というヴィンテージの椅子の座面には、自分で選んだ色のウールを使っています。
そしてこの座面がダメになったら、骨組みは再利用して座面だけ張り替えていくわけです。
このようにヴィンテージの家具は後世に残していくのですが、このヴィンテージの家具は、地域性を取り入れることでより愛着の湧く家具に仕上げることができるわけです。
こうやって聞くと、その地域の特産素材を使って家具を仕上げることで地域貢献にもなりますし、何よりも今までただの家具としてしか認識しておらず、何の感情も湧かなかったものに対して魅力を感じるようにもなるのです。
これが地域の特性を理解した建物の外観、外溝提案、造作家具提案ということです。
既存の家具と空間がマッチするような提案
既存の家具と空間がマッチするような提案ということについてですが、いくらヴィンテージの家具を持っていたとしても、またヴィンテージではなく、いくらアルフレックス、Time&Style、マルニ木工など、そういった家具を持っていたとしても、家具と室内空間が一体となっていない、もしくは家具と空間が一体とならない提案だったら意味がありません。
例えば裸で革靴を履くのは、履いている方もそれを見ている方も違和感を感じると思いますがそれと同じで、家具だけ立派でも室内空間にマッチしていなかったら違和感を感じるようになるのです。
では、その違和感を取り除くためにはどうしたらいいのかというと、机の天板の厚さなどに合わせて、巾木や笠木の厚さ、質感を調整するのです。
これはとても高度な話で、本来モダニズム的な観点から言えば、巾木はない方がいいですし、笠木も薄くて目立たない方がいいのです。
しかし実は、巾木も笠木も、家具と空間をマッチさせるための接着剤としての機能が存在します。
ですので、既存の家具と空間がマッチするような提案をするのであれば、ダイニングテーブルの天板の厚さに合わせて、あえて巾木も笠木も目立つようにつくった方がよかったりするのです。
こういった細かい調整と緻密な設計をして初めて、既存の家具と空間がマッチするような提案が可能になるのです。
これは少し余談にはなるのですが、お金持ちになればなるほどミニマリストとは真逆で物が増えていきます。
しかもその物というのは、エルメスのバーキンやケリー、そういった何百万円、下手したら何千万円もするカバンだったり、時計だったり、洋服だったりするわけです。
ですので簡単には捨てられないのです。
今ある物の量と今後増えるであろう物の量、これをどうやって積み上げてきれいに設計するのか、やはりここでも設計士の色を出した設計というよりかは、いかにしてお客さんに寄り添ってそれを積み上げ、きれいにまとめて設計するのかがポイントになります。
椅子やソファをまとめて空間をつくり上げるというのももちろんですが、そういう家具だけの話ではありません。
ちなみに、建物金額だけで3億を超えてくるような家を検討しているお金持ちの人は、はっきり言いますが、第5形態の設計士でないとまともに対応できません。
なぜなら、金銭感覚も持っている物の量も一般人とは大きく異なっているからです。
お金持ちにはお金持ちの共通認識があるのです。
そしてその共通認識をベースに細かく積み上げて設計していかなければならないので、とてもじゃないですが、第1、第2、第3、第4形態の設計士ではまともに対応できないわけです。
建物金額だけで3億を超える家の購入を検討している方は、下手な設計士が担当になると、お金持ち特有の共通認識を担当の設計士に教えるところから始めなければいけなくなるということは覚えておいてください。
また、教えたところで積み上げる設計ができないと、空間きれいにまとめることもできないので、その点もご注意いただければと思います。
ということで話を戻しまして、地域の特性を理解した建物の外観、外溝提案、造作家具提案とはどういうことなのか、既存の家具と空間がマッチするような提案とはなんなのか、それぞれについて簡単に説明をしてきました。
なかなかイメージできなかったという人もいるかもしれませんが、とにかく、じわじわと満足度を上げるための設計提案として、
- 設計士の色を出さない
- 地域に根ざした設計提案をする
- 既存の家具などと空間をマッチさせた提案をする
これが一部の設計士だけが到達する設計士の最終到達系第5形態になりますというお話でした。
そして、現在の設計のトレンドはこの第5形態の設計士になっています。
ハウスメーカーの設計士の見分け方のまとめ
今回は『ハウスメーカーの設計士の見分け方~5段階のレベルの違いを解説~』というテーマでお話をしてきました。
まとめると、
- 第1形態が量産型インスタントデザイン
- 第2形態が小技踏襲型デザイン
- 第3形態が文化踏襲型デザイン
- 第4形態が住みこなす系デザイン
- 第5形態が必要なもの積み上げ型デザイン
以上になります。
もちろん、レベルの高い設計士が自分の担当になればなるほどいいのですが、冒頭でもお伝えしたとおり、大切なのは自分たちの方向性と合致するかどうかということです。
ただ、本記事を読んだ上で少し違和感を感じるなら、一旦立ち止まってみるのもありかと思いますし、思い切って別のメーカーで検討するのもありなのではないかなと思います。
ぜひ参考にしてみてください。
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